基礎研究

基礎研究の醍醐味
大須賀 浩二
ことわざに「事実は小説より奇なり」があります。「作られた小説よりも、実際の世界の方が不思議で奇妙なことがある」ということを意味していますが、私たちの対象とする疾患も、私たちの想像する以上に複雑な病態に基づきそれぞれの疾患が成り立っています。それは、脳神経外科の疾患でもしかりです。
高齢者の軽度な頭部打撲後に数ヶ月後に発生する慢性硬膜下血腫という疾患があります。臨床的には悪性腫瘍でもなく、単に穿頭血腫除去術を施行すると自然と治癒に至ります。しかし、この慢性硬膜下血腫の増大のメカニズに関しては、炎症と血管新生が関与していることは言われてきましたが、如何なる分子生物学的な機序が関与しているのかは、まだ報告されてきていませんでした。
我々愛知医科大学脳神経外科は、以前からそのメカニズムの解明を目的に、慢性硬膜下血腫の被膜ならびに血腫を用いて、慢性硬膜下血腫が炎症性の血管新生を伴う疾患であるところに着目し,基礎研究に取り組んできました。慢性硬膜下血腫の被膜ですが、肉眼ではちょっとした粕のように見えますが、たった耳掻き1杯の粕のような被膜からでもWestern blotを用いて蛋白発現を詳細に検討してきました。血管新生に関与するVEGFにより,PI3-kinase/AktやMAPKやNF-κBを介するシグナル伝達系の活性化や、炎症性サイトカインであるinterleukin-6からJAK/STAT3のシグナル伝達系の活性化などを世界初に確認し、論文報告をしてきました。一方,慢性硬膜下血腫ですが、外科的な治療もなく自然治癒に至る症例もありますが,そのような過程においてはアポトーシスや平成28年に大隅先生がノーベル医学生理学賞を受賞されたオートファジー(添付図参照)などのシグナル伝達系が深く関与していることもわかりました。以上のようなシグナル伝達系が血腫被膜の増大や縮小に深く関与していることを解明してきました。
本当に小さな検体からでも、Western blotにて未だ報告されていない蛋白が検出できることが基礎実験の醍醐味です。色々なシグナル伝達系の関与が解明され,これらの伝達系に着目した新たな治療法や薬剤の開発の一助になればと思い、日々実験に取り組んでいます。
こんな小さなサンプルでもWestern blotをすると、色々な蛋白の発現が解明できます
<慢性硬膜下血腫に関する最近の業績>
- Osuka K, Watanabe Y, Usuda N, et al. Expression of Autophagy Signaling Molecules in the Outer Membranes of Chronic Subdural Hematomas. J Neurotrauma. 36(2):403-407, 2019
- Isaji T, Osuka K, Ohmichi Y, et al. Expression of Angiopoietins and Angiogenic Signaling Pathway Molecules in Chronic Subdural Hematomas. J Neurotrauma. 37(23):2493-2498, 2020
- Osuka K, Watanabe Y, Usuda N, et al. Expression of high mobility group B1 and toll-like receptor-nuclear factor κB signaling pathway in chronic subdural hematomas. PLoS One. 15(6):e0233643, 2020
- Osuka K, Ohmichi Y, Ohmichi M, et al. Sequential Expression of Chemokines in Chronic Subdural Hematoma Fluids after Trepanation Surgery. J Neurotrauma. 38(14):1979-1987, 2021
- Osuka K, Ohmichi Y, Ohmichi M, et al. Angiogenesis in the Outer Membrane of Chronic Subdural Hematomas through Thrombin-Cleaved Osteopontin and the Integrin alpha9 and Integrin beta1 Signaling Pathways. Biomedicines. 11(5):1440, 2023
- Yokota M, Osuka K, Ohmichi Y, et al. Platelet-derived Growth Factor Activates Pericytes in the Microvessels of Chronic Subdural Hematoma Outer Membranes. Neurol Med Chir (Tokyo). 64(1):50-55, 2024
歯髄幹細胞(SHED)による脊髄損傷後の機能予後改善に関するメカニズムの研究
脊髄損傷における機能改善に歯髄幹細胞(SHED)が深く寄与してきていることは既に報告されてきましたが、その機序に関しては完全には解明されていません。機能改善をBBBスコアーで評価すると脊髄損傷後day7~14にかけて歯髄幹細胞(SHED)の投与により有意な機能改善を認めました。そこでday5と10における歯髄幹細胞(SHED)の効果に関して検討したところ、day10においてSTAT3の活性化がastrocyteにおいて有意に低下し、day10においてcleaved caspase3の発現をastrocyteにおいて認め、グリア瘢痕の形成を抑制することが機能改善の一躍を担っていることを報告しました。

Day10においてSHEDによりcleaved caspase3の発現

GFAP (green)とcleaved caspase 3 (red)との供発現
また、坐骨神経損傷モデルにおいても、歯髄幹細胞(SHED)を坐骨神経損傷部位周囲に包埋すると、4週間後以降sciatic functional indexによる機能改善を有意にみとめました。その機序としては、炎症性サイトカインであるinterleukin-6の局所での産生を抑制しSTAT3の活性化も抑制、すなわち抗炎症作用とともに、Schwann細胞でのErkの活性化をもたらし損傷神経のミエリン形成を促進し、機能予後の改善につながることを報告しました。
今後も引き続き脊髄損傷における歯髄幹細胞(SHED)の更なる作用機序の解明を行なっていく予定です。

坐骨神経損傷部位におけるErkの活性とSchwann細胞でのErkの活性化
<SHEDに関する最近の業績>
- Nishii T, Osuka K, Nishimura Y, et al.Protective Mechanism of Stem Cells from Human Exfoliated Deciduous Teeth in Treating Spinal Cord Injury. J Neurotrauma. 41(9-10):1196-1210, 2024
- Oyama T, Osuka K, Nishimura Y, et al. Stem cells from human exfoliated deciduous teeth improves motor function after sciatic nerve injury through suppression of inflammation. Stem Cells Devel (in press)
クモ膜下出血後のclazosentan投与における機能予後に関与する分子学的メカニズムの研究
また,クモ膜下出血(SAH)の病態における分子学的な検討も行ってきました。SAH後の髄液中においては,炎症性サイトカインのinterleukin-6が超急性期に発現し,引き続きday3ではMCP-1が発現し,day5ではIP-10やMIGの発現がピークとなり,これらのサイトカインならびにケモカインの経時的な発現が,SAH後の遅発性神経脱落症状の発現に関与していることも解明し報告しました。近年endothelin A receptor inhibitorであるclazosentan (CLA)が脳血管攣縮に対して有効な効果が報告されつつあります。今回我々は、Rho kinase inhibitorであるfasudil hydrochloride (FH)と比較して検討したところ、急性期において有意に髄液中でのinterleukin-6の発現を抑制していることが判明し、脳血管攣縮へ影響が抑制された可能性が示唆されました。
今後の更なる作用機序の解明が大いに待たれるところである。
<SAHに関する最近の業績>
- Niwa A, Osuka K, Nakura T, et al.Interleukin-6, MCP-1, IP-10, and MIG are sequentially expressed in cerebrospinal fluid after subarachnoid hemorrhage. J Neuroinflammation. 13(1):217, 2016
- Osuka K, Watanabe Y, Suzuki C, et al. Sequential expression of neutrophil chemoattractants in cerebrospinal fluid after subarachnoid hemorrhage. J Neuroimmunol. 357:577610, 2021
以上のように、慢性硬膜下血腫や脊髄損傷ならびにくも膜下出血などの脳外科疾患におけるシグナル伝達系の解明を探求し、新たな治療法の開発を目指し、日々の研究に取り組んでいます。